「こころの休憩室」


郷土・筑後地方の謎に迫る(4)

古代中国海人の「日月星辰の幡」の伝承

東洋医学史研究会
宇田明男



古代の有力な豪族として海人族「安曇氏」の存在はよく知られているが、古代九州の有明海沿岸、筑後水沼郡・山門郡周辺一帯は安曇族の支配下にあった。
安曇族は本来神系氏族とされるが、大和朝廷成立以前、それも紀元前の弥生時代より軍事的にきわめて重要な地位を占めていた。
その本拠地は北部九州の志賀島、糟屋郡安曇郷周辺にもあって、古来より中国や朝鮮半島と頻繁に交易をしており、その海運水軍力を背景に勢力を伸ばした豪族である。
特に古代中国沿岸地方と共通する潜水漁法、文身の習俗など文化人類学的方面からもその類似性が指摘できる。
有明海沿岸では、魏志倭人伝にも記述がある文身の習俗は一部江戸期まで残っていたが、明治の皆兵制度による身体検査で厳しく咎められてそれ以降廃れたものである。

有明海沿岸部は後世の干拓によって海岸線が遠のき、かっての海人族関連の遺跡や神社などの殆どが内陸部に取り残された形となった。
それらの神社やお宮には今なお伝統的祭事が伝えられているのであるが、その起源を考える上で非常に重要なことがいくつか判明してきた。これも古代史を考える上での一つの謎解きである。

古代の海人族の本拠地として、あるいは軍事の棟梁物部氏族との結合が成された特別な地域として上げられるのが、現在の福岡県みやま市瀬高町太神地区がある。
ここには「こうやの宮」同様に、古代の歴史情報が随所に残されている地域でもある。
太神の部落内にある釣殿宮の祭事の先頭に繰り出されてくるご神体は、幡のかたちをしている。
それは紅白のご神幡であり、いわゆる日月の幡といわれていて、後世の錦の御旗の原型ともいうべきものである。
もともとは海人族の船に掲げられた旗印のそれであり、古代より海人祭祀のご神体であったことは明白である。
この釣殿宮の幡のユニークな点は、釣針状のものが幡の下部に描かれていることである。
はじめて目にする人は、その単純な形からすぐさま釣針をイメージするであろう。
これは海洋生活者としての海人族の祭祀そのものに関係することもあるが、釣針状の図案が意味するものは、実は豊漁祈願はもとより古代の海人が航行するときの方角を確かめる天文上の北斗七星をシンボルとして図式的に表わしている。

なぜに北斗七星なのか?なぜに北斗七星でなければならないのかが、ここで一つの疑問として出てこよう。
北斗七星は、古代中国では船星ともいわれ古代の航海者(海人)にとっては方向を見定める重要な天文情報そのものであった。
日月星辰の幡の起源は非常に古く、これも古代中国の神話や伝承に深く関わっているものである。
それだけに、こうした古代の祭祀がそのままの形ではるか遠い古代に北部九州の地に伝播し、いま現在までも廃ることなく伝えられていることに驚きを禁じえない。
これは決して大仰な物言いではなくて、古代の伝承遺物として追跡していくことが可能である。
これらに関連する古代の天文や日月星辰についての考え方は、古代中国の古典籍にもしっかりと記述されている。

徐福渡来時期に近い時代、紀元前二世紀に編纂された『准南子』天文訓に、「天地の襲精は陰陽となり、陰陽の専精は四時となり、四時の散精は万物となる。積陽の熱気は火を生じ、火気の精は日となり、積陰の寒気は水となり、水気の精は月となり、日月の淫かれて精となるものは星辰となる。
天は日月星辰を受け、地は水潦塵埃を浮く。・・・」と記されていることでも、古代中国の日月星辰伝説の出典の核心部分に触れることが出来る。

つまり二千数百年前、海人安曇族の支配下であった筑後地方には、すでに古代中国の伝承に基づく祭祀が確実に伝わっていたということになる。
ここで重要なことは、何故に海人安曇族が日月星辰の幡をご神体として崇めていたのかということである。そして、そこにはどのような意味が隠されているのかということである。
そこには当然、文化的、民俗学的考察も必要である。そこから何らかの手がかりとなる明確な背景や理由が見つかるのではないかと考えるに至った。
古代の海上航行でもっとも恐れられたのが海上での強風である。
海上で強風に晒されれば、古代の小船は一たまりもない。ここに古代祭祀の原型がある。
連綿と現代までその祭祀が失われずに伝承されている事実が、それを如実に物語っている。
強風による船の転覆や航路から外れて難破することを避けたいとする海人族共通の願いや、海人の信仰心がそこには深く関わっていたわけだ。
そして、それには日月星辰のシンボルが不可欠とされた。
有明海沿岸部の海人安曇族は、古代中国沿岸の海人族とまったく同様の日月星辰のシンボルを彼らの祭祀の中心に置いて当初より掲げ崇めてきた。
有明海沿岸一帯の 海人安曇族が日月星辰の幡をご神体として崇めたということは、東アジアの広範な海洋民族に共通した認識があったことをも意味する。
それだけの理由と明確な祭祀性とが、幡それ自体に備わっていたことにまず注目しなくてはならない。
何がそうさせたのか。実は、これも非常に古い中国の神話伝承が海人族祭祀の背景に関わっている。

ある時、玄微という道教の術使いの家に十名もの乙女が宿を借りにきた。十八夷という老女に会いにいく途中だという。
ところが、都合よくその夜十八夷が玄微の家にやってきたのであるが、その乙女らのうちの阿措という娘が、あやまって十八夷の服に酒をこぼしてしまい彼女を酷く怒らせてしまった。
乙女達は、十八夷の方術で暴風を沈めてもらおうというと願ってやって来たのだが、そうした不手際があったために面と向かってそれが出来なくなってしまった。そこで玄微に代わりに尋ねてもらうことにした。
さっそく玄微が十八夷に尋ねてみたところ、赤い幡を作ってそれに日月五星を描き、庭の花園の東に立てるだけでよいということだった。

玄微が言われたとおりに幡を立ておいたところ、その日暴風が吹いたが不思議なことに花園だけは無風だった。
そのことがあってはじめて、乙女達は皆花園の花の精であって、老女の十八夷は風の神であることに玄微は気付いた。 後に乙女たちは礼にやってきて、食べると歳をとらないという桃や李をおいていった。

日月星辰の幡を立てることによって、暴風の難を避けることが出来るという古代の呪術、それも古代中国の神仙方術として知られていたものである。
それがそのまま有明海沿岸域にも海路で伝播し、ひろく海人族に受け入れられたことが窺える伝承遺物の一つとなっているわけだ。
そこにはこれまでまったく現代人が窺い知れないような、はるか古代の神話伝承が介在していたことが窺えるのである。

             (2005/6/26)







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