「こころの休憩室」


九州歴史発見シリーズ
九州から本能寺の変を考える(6)


東洋医学史研究会
宇田明男



●問われ続ける明智光秀謀反の理由
光秀の反逆の理由については従来より諸説がある。
怨恨説:単純に信長への恨みがつのりついに怒りとして爆発し決行した。
黒幕説:単純に首謀者(黒幕)が背後にいて光秀をうまく操った。
野望説:単純に己が天下を盗れると考えた。
おかしな話でこれらの諸説が当てはまるほど光秀という人物が単純で短絡的だったのかということになろう。九州歴史発見館、織田信長
ルイス・フロイスは光秀という人物について、『日本史』の中で「裏切りや密会を好む」、「刑を科するに残酷」、「忍耐力に富む」、「計略と策略の達人」、「築城技術に長ける」、「戦いに熟練の士を使いこなす」などと記述している。
むしろ光秀という武将は一筋縄ではいかない複雑な内面をもった人物といえるのではないのか。
ルイス・フロイスの記述からいけば主君信長の命令を受けて着実に対応しきった能吏として、また武将としても光秀の卓越した才覚が示されたということになる。
これはまさに光秀という武将に与えられた賞賛にも等しい人物評価に他なるまい。


そうしたひとかどの武将であれば天下を狙うような大きな野望があったとしてもさほど不思議ではあるまいが、当時六十歳前後とされる光秀の年齢を考えればそれ相応の分別や慎重さがあったはずである。
たとえ野心があったとしても主君信長暗殺から手掛けていくという武略そのものは、どうみても前途多難と判断せざるを得ないであろう。
謀反とはいえ相当な賭けであり、どれほどの勝算があるかは光秀主従も俄かには予想がつかなかったはずである。
そうであればあるほどに、ここでは主君信長のために働いている光秀をたやすく動かせるほどの黒幕が背後にいたとは考えにくいところである。


しかもこれだけの危険きまわりない軍事行動に、光秀の重臣たちが一様に従っていることは不思議ではあるまいか。
光秀の暴挙を家臣が押し止めるといった混乱がみられないのは何故なのか。(斉藤利三・藤田行政・溝尾茂朝・明智秀満)
光秀の命令のまま一丸となって実行した背後には、彼らにも共有する何らかの信長への反逆の動機があったと考えなくてはなるまい。
やはりここらに光秀陣営の謀反の本質が隠れているように思える。
光秀にしてみれば自分が諜略を進める首謀者であって、逆に何者かに操られる側に立たされるというのは心外であろう。
謀反の理由としては光秀の心労によるノイローゼ説まであって、それこそ諸説紛々というところであるが、おかしなことにその殆どが光秀側の隠された理由を問うものばかりである。
果たして光秀の反逆心はどこまで彼自身の内面から湧き出たものだったのか。
そもそも信長には付け入る隙はなかったのだろうか。
これまで、何故に信長は家臣に裏切られたのかの理由を正面から追求することは意外と少なかったように思える。
事実それまでにも信長は家臣や降った武将にも度々裏切られ叛旗を翻されているではないか。
戦国の世とはいえ、そこには共通する何らかの重大な要因があったということではないのか。
結局のところ信長の武威による征圧にも屈しないしたたかな戦国武将が少なからずいたということになる。


●家康饗応が光秀を決断させたのか?
光秀の謀反の決断時期は家康饗応の時期と重なるように思える。
光秀は信長から家康饗応役を仰せつかったわけであるが、これこそ光秀の命運を決定付ける一つの出来事ではなかったかと思う。
俗説にあるように家康饗応で失態があったとは考えられないわけで、むしろこの饗応が別の意味で信長の機嫌を損ねてしまった可能性はあったように思われてならない。
以下は個人的な憶測であるが、このときの推移が光秀の決断を促したのではないかと考えている。
安土での光秀の接待はすべてに渡って行き届いたものであって、家康主従は大いに歓待されたはずである。
武家の作法に精通している光秀の差配に手違いがあったなどとは到底考え難いことである。
信長側からの饗応であるからそれ自体相当な馳走であったはずで、それでなくとも光秀の対応は十分過ぎるものであった。
光秀は京や堺で珍しい食材が調えられ料理され、15日から17日までの3日間宿泊先の大宝寺で家康主従らへそれらが振るまわれると共に舞いがとり行われた。


信長という武将は家臣や周囲の者の増長を極端に嫌った。
それと同時にそのように相手を不必要に増長させる行為にもひどく腹を立てた。
光秀の饗応の様子はその都度信長のもとへ報告されていたであろうが、それらの中に彼の逆鱗に触れるような仕儀があったのではないか。
ことのほか光秀と家康主従との間では会話が和気藹々と進んだとも考えられる。
事は饗応の場で外交辞令以外の部分で双方がより打ち解けた会話がなされたすると、逆にそうした懸念が出てくるように思えるのである。
信長と織田家臣団の間の雰囲気と家康を囲む重臣らとの雰囲気はそれこそまったく異なったものであったであろう。
いわゆる家風がまったく異なるということになる。
徳川家の武骨な家臣たちがそれほど洗練されていたとは思えない。
これが信長を不必要に不機嫌にさせた。
端的に言えば、家康主従の結束の強さの精神的背景は織田家主従とはまったく違った異質のものであったはずである。
このことを光秀は目敏く気付いていたであろうし、その場で光秀自身が一言でも双方の家風について触れていたとしたらどうであろうか。
しかもその場でそうした徳川の家風を光秀が(儀礼的にでも)褒めたとすると、それはそれで猜疑心の強い信長にとっては不愉快であり当て付けに聞こえ彼の気に障ることとなる。
こうした人間心理というのはおもしろいもので、信長と光秀の二人だけの会話の場とこのように第三者である家康が加わったときとではまったくその場の雰囲気も話の伝わり方も変わってしまう。
同じことが話されていたとしてもそれぞれの受け取り方が微妙に変わってくるのである。
そこでの信長の捩れた嫉妬心と怒りはそのまま光秀に向かうことになる。
こうした展開は信長と光秀の間では度々起こり得たことであろう。
結果的に光秀の主君へ対する信頼感を一方的に損われることになる。
フロイスの記録によると、「これらの催し物の準備について、信長はある密室において明智と語っていたが…、人々が語るところによれば、彼の好みに合わぬ要件で、明智が言葉を返すと、信長が立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴にしたということである。だが、これは密かになされたことであり、二人だけの間での出来事だったので、後々まで民衆の噂に残ることはなかったが…」(中公文庫p.144-145) と記している。
饗応時の趣向が両者の間で意見が合わなかったのである。
信長はこれを光秀の増長とみた可能性はあろう。
家康饗応の席でも信長は光秀にそうした出しゃばった無用の言動があったとして癇癪を起こしたかもしれない。
この辺りの光秀と信長の主従関係は良好であったとはいえないわけで、すでに破綻しつつあったとみるべきではないか。
光秀は17日に突如家康接待役を外され中国方面への出陣命令が下る。
光秀の軍団組織はもとより戦略上の遊軍部隊であるからここで秀吉の援軍として後から出撃しても何の不思議もない。
同時に主君信長も四国方面へ出陣してくるわけだから、光秀の指揮官としての立場に格別不都合があったというわけではあるまい。
光秀の心境に大きな変化があったとすれば、この徳川家康主従の饗応がその引き金になったと確信している。
だとしたらここで考えられることは、やはり光秀の謀反の理由は信長への怨恨そのものが動機なのであろうか?


2013/10/18







(この稿続く)


参考資料:
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇Ⅰ「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編Ⅱ「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇Ⅲ「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
「織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで」 (中公新書) 谷口 克広 (著) 2001
「信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学」 (講談社学術文庫) 藤本 正行 (著) 2003
戦国群雄伝 信長 秀吉 毛利 世界文化社 1996年
戦国京都・王城の地150年の英雄たち 1994年 学研
「戦国武将の参謀と異形の頭脳集団」 歴史と旅  秋田書店 1999年
「徳川創世記 家康・秀忠・家光の野望」歴史読本 1998年
「戦国武将一〇四傑」 別冊歴史読本94 新人物往来社 1998年
「秀吉天下人への道」 歴史読本 新人物往来社  1995年
歴史群像 明智光秀の野望 1992年12月号 学研
日本史史料集 笹山晴生 五味文彦 吉田伸之 鳥海靖 山川出版社 1994
日本史用語集 全国歴史教育研究協議会編 山川出版社 1994
図説日本史 啓隆社 1999
裏千家茶道のおしえ 千宗室(著) 日本放送出版 1979
「堺」豊田武(著) 至文堂 1957
「戦国武将ものしり事典」 奈良本達也監修 初版主婦と生活社  1993
戦国史新聞・乱世をスクープ! 戦国史新聞編纂委員会編 日本文芸社
「不思議日本史・歴史のウラが見えてくる」 南條範夫監修 主婦と生活社 1988 
信長と家康: 清須同盟の実体 (学研新書)
戦国の軍隊: 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢
織田信長のマネー革命 経済戦争としての戦国時代 (ソフトバンク新書)
信長が見た戦国京都 ~城塞に囲まれた異貌の都 (歴史新書y)
戦国関東の覇権戦争 (歴史新書y)
信長軍の司令官―部将たちの出世競争 (中公新書)
上杉謙信の夢と野望 (歴史新書y)
信長と消えた家臣たち―失脚・粛清・謀反 (中公新書)
関東戦国史と御館の乱 ~上杉景虎・敗北の歴史的意味とは? (歴史新書y)
長篠の戦い (歴史新書y)
大航海時代叢書〈第11〉日本王国記・日欧文化比較 アビラ・ヒロン (著), ルイス・フロイス (著) 岩波書店 1965

 







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