「こころの休憩室」


九州歴史発見シリーズ
九州から本能寺の変を考える(5)


東洋医学史研 究会
宇田明男



●明智光秀の所業を誰が非難したのか
戦国騒乱の時代であれば下克上は当たり前のことであった。
下克上そのものが当時の武家社会にあっても好ましいものとは見られなくともすべては武力の優劣がものを言うのであって、そうした風潮を非難するには当たらなかった。
力あるものが新たに台頭し、それまでの主家に取って代わったとしても何の不都合もないわけである。
殺戮し合うのに道義もへったくれもないわけだし、そこは生きながらえた方が勝者の名乗りを上げることになる。
正面から武力で倒そうと密かに諜略で陥れようとも戦国にあっては道徳規範は無いにも等しいわけで、ここで光秀の所業だけを非難できるわけがない。
戦略としての結果こそがすべてであった。


確かに光秀自身は織田信長の家臣であって、重臣の一人として側近くに仕えていた武将であった。
謀反の真意は分からずとも信長が家臣に裏切られるという事態は光秀が最初ではなかった。
丹波の波多野秀治や大和の松永久秀の裏切り、播磨の別所長治や摂津の荒木村重の反逆が立て続けに発生している。
家老であった林秀貞(通勝)や重臣の佐久間信盛、安藤守就、さらには浅井長政、将軍足利義昭までも含めれば信長に反逆した武将は過去にも少なからずいたわけで、寝返りなどはそれこそ戦国時代にあっては格別珍しいことではなかった。
明らかに彼らは信長の差配を嫌って離反したということになる。
ただ本能寺の変によって信長という圧倒的な戦国の覇者が呆気なく倒されたことは、敵対する勢力側にとっても衝撃が大きかった。


本能寺の変そのものは、いうなれば織田家家中での突発的な謀反劇でありお家騒動に過ぎない。
織田の家臣団の動揺は当然として、少なくともこのとき同盟関係にあった家康自身は相当な危機感を持ったはずである。
この騒動に対しては反信長勢力側ではまったく逆の反応があったはずで、当然のことであるがあらたまって光秀を誹謗する理由などはなかった。
利害関係が相反するわけだから、光秀の所業は明らかに利敵行為に違いなかった。
侵略してくる信長勢が突然内部で自壊したのであれば、攻め寄せられていた側にとっては思い掛けない馳走そのものなのだ。


ここでは織田信長の後を盗る秀吉こそが光秀をいの一番に倒すべく俊敏に動いたわけで、「謀反人」「主殺し」と盛んに喧伝して光秀を追い詰めていった。

戦略的にみれば、光秀が「謀反人」「主殺し」として立つことは限りなく不利でありこの後の戦いは防戦一辺倒になってしまう。
それこそ旗色が悪いというか、全くといっていいほどに光秀には分が無いことになる。
翻ってここで考えるならば光秀の謀反そのものが非難されたのは信長陣営内であって、むしろ部外者は別の見方をしていたはずである。
思慮深く戦略に長けた家康でさえ、武将としての光秀に対する評価はどうであったかは明確ではあるまい。
家康にとっても信長の存在は常に恐怖の存在であったであろう。
一方的にいついかなる理由で切り捨てられるかは分からない。
両者に同盟関係があろうと、そうした過剰な緊張状態があったはずである。
家康の安土訪問時にも暗殺される懸念があったほどである。
いうなれば暫定的協力関係が微妙な軍事バランスの上に保たれていたというべきものであった。


その後の光秀の歴史的評価は謀反人としてのそれであって、信長への評価と相俟って善悪に色分けされているといっても過言ではあるまい。


●それほど信長が悪逆過ぎたのか?
大量殺戮を繰り返す武将信長が戦国の世を勇壮に疾走し続けることを当時の日本人にどれだけ支持されていたのかは分からないが、渡航してきたイエズス会は信長に対し相当な嫌悪感を抱いていたことは否めないであろう。
渡来直後に見られた彼らの好意的評価は、その後すっかり影を潜めてしまったのである。
それでも信長を無視するにはあまりにも巨大過ぎる存在であった。
イエズス会の報告書にはその辺りの事情が明確に記述されているし、本能寺の事件に至る過程も同様に冷徹な評価を下している。

「かくて彼(信長のこと)はもはや、自らを日本の絶対君主と称し、諸国でそのように処遇されるだけに満足せず、全身に燃え上がったこの悪魔的傲慢さから、突如としてナブコドノゾールの無謀さと不遜に出ることを決め、自らが単に地上の死すべき人間としてでなく、あたかも神的生命を有し、不滅の主であるかのように万人から礼拝されることを希望した。
そしてこの冒涜的な欲望を実現すべく、自邸に近く城(安土城のこと)から離れた円い山の上に一寺を建立することを命じ、そこに毒々しい野望的意志を書いて掲げたが、それを日本語から我らの言語に翻訳すれば次のとおりである」

「偉大なる当日本の諸国のはるか彼方から眺めただけで、見る者に喜悦と満足を与えるこの安土の城に、全日本の君主たる信長は摠見寺(そうけんじ)と称する当寺院を建立した。 当寺を拝し、これに大いなる信心と尊敬を寄せる者に授けられる功徳と利益は以下のようである。
第一に、富者にして当所に礼拝に来るならば、いよいよその富を増し、貧しき者、身分低きもの、賤しき者が当所に礼拝に来るならば、当持院に詣でた功徳によって、同じく富裕の身となるであろう。しこうして子孫を増すための子女なり相続者を有せぬ者は、ただちに子孫と長寿に恵まれ、大いなる平和と繁栄を得るであろう。

第二に、八十歳まで長生きし、疾病はたちまち癒え、その希望はかなえられ、健康と平安を得るであろう。
第三に、予が誕生日を聖日とし、当寺へ参詣することを命ずる。

第四に、以上のすべてを信ずる者には、確実に疑いなく、約束したことがかならず実現するであろう。しこうしてこれらのことを信ぜぬ邪悪の徒は、現世においても来世においても滅亡するに至るであろう。ゆえに万人は、大いなる崇拝と尊敬をつねづねこれに捧げることが必要である」(ルイス・フロイス 日本史)



信長は安土城に盆山を設け、自ら神を超える存在であるとして人々に参拝を強制していた。
これに従わない和泉・槙尾寺は伽藍を焼き払らわれ、さらに高野聖さえも数百人が取り押さえられて惨殺されるという有様であった。
こうした信長の独裁者としての変貌に宣教師は驚愕したであろう。
キリシタンの武将高山右近の説得工作にも、信長は宣教師を脅して強引に協力させてもいた。
イエズス会の宣教事業の後ろ盾になってくれるという当初の楽観的予想を覆すような信長のその後の傲慢な言動に苛立った彼らの勢力が、魔王と化した信長をどこかで葬り去ろうと画策した可能性も浮上してくる。
従来より信長暗殺にイエズス会勢力が背後で関わったとする説があるのも事実である。
当時本能寺と彼らの南蛮寺は隣接して建っていた事もあって、襲撃時の様子は克明にイエズス会に報告されたわけで、従来よりイエズス会の情報収集もこの南蛮寺を拠点にして活動していた。
当然信長の死は彼らにとっても特別な意味があったことになる。
第六天魔王と自称した信長が、己の神格化を目論んだ結果どうなったか。
そこにはフロイスの次のような手厳しい記述が続いている。


「信長がかくの如く驕慢となり、世界の創造主また贖主である、デウスのみに帰すべきものを奪わんとしたため、安土山においてこの祭りを行った後19日を経て、その体は塵となり灰となって地に帰し、その霊魂は地獄に葬られた」(フロイス・日本史)と、本能寺の変での最後を締めくくっている。


間接的に信長の暗殺を当然の帰結とみているわけで、光秀を賞賛するまではいかなくとも信長が葬られたことを肯定的に評価していることは十分に窺えるであろう。


2013/10/01







(注:1)


参考資料:
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇Ⅰ「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編Ⅱ「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇Ⅲ「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
「織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで」 (中公新書) 谷口 克広 (著) 2001
「信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学」 (講談社学術文庫) 藤本 正行 (著) 2003
戦国群雄伝 信長 秀吉 毛利 世界文化社 1996年
戦国京都・王城の地150年の英雄たち 1994年 学研
「戦国武将の参謀と異形の頭脳集団」 歴史と旅  秋田書店 1999年
「徳川創世記 家康・秀忠・家光の野望」歴史読本 1998年
「戦国武将一〇四傑」 別冊歴史読本94 新人物往来社 1998年
「秀吉天下人への道」 歴史読本 新人物往来社  1995年
歴史群像 明智光秀の野望 1992年12月号 学研
日本史史料集 笹山晴生 五味文彦 吉田伸之 鳥海靖 山川出版社 1994
日本史用語集 全国歴史教育研究協議会編 山川出版社 1994
図説日本史 啓隆社 1999
裏千家茶道のおしえ 千宗室(著) 日本放送出版 1979
「堺」豊田武(著) 至文堂 1957
「戦国武将ものしり事典」 奈良本達也監修 初版主婦と生活社  1993
戦国史新聞・乱世をスクープ! 戦国史新聞編纂委員会編 日本文芸社
「不思議日本史・歴史のウラが見えてくる」 南條範夫監修 主婦と生活社 1988 
信長と家康: 清須同盟の実体 (学研新書)
戦国の軍隊: 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢
織田信長のマネー革命 経済戦争としての戦国時代 (ソフトバンク新書)
信長が見た戦国京都 ~城塞に囲まれた異貌の都 (歴史新書y)
戦国関東の覇権戦争 (歴史新書y)
信長軍の司令官―部将たちの出世競争 (中公新書)
上杉謙信の夢と野望 (歴史新書y)
信長と消えた家臣たち―失脚・粛清・謀反 (中公新書)
関東戦国史と御館の乱 ~上杉景虎・敗北の歴史的意味とは? (歴史新書y)
長篠の戦い (歴史新書y)
大航海時代叢書〈第11〉日本王国記・日欧文化比較 アビラ・ヒロン (著), ルイス・フロイス (著) 岩波書店 1965

 







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