江戸時代の治療代・医療費の実態について・うだ整骨院

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随筆
江戸時代のべらぼうに高い治療代の話



江戸時代は幕府によって米一石が一両と一応決められていたが、相場による変動があ った。
この米の価格から一両を現代の円に換算すると幾らに相当するかということが、よく 問題になる。
諸説があって三万円代から四万、六万、八万、高いところでは十六万というのがある。

百石取りの武士の場合、四公六民で四十石が取り分となる。白米にするのに五石のつ き減りがあり、実質三十五石が手取りである。 このうち自家用に消費するのが十一石、 残り二十四石を換金することができる。一石=一両=八万円で計算すると一九二万円、 これが百石取りの一年間のその他の生活費となるわけで、当時の消費生活が窺えるとい うものである。

これがエリートである奥医師となると二百石の知行であっても、年間四千両(三億二 千万円)の収入があったという。
将軍の御脈をとる御匙医師ともなると、大変な格式があって、大名が診てもらうと盆 暮に千両箱が届けられるのが通例であった。
このように奥医師の場合は知行に加えて足高やアルバイト収入に税金はかからず、裕 福この上なかったわけである。

医者の中には巨富を元手に高利貸でさらに資産を増やし、金融業で名を成した者もい たという次第であった。

二千年前のハムラビ法典には骨折を治癒させた医師には銀貨を支払う規定があったよ うに、医療に対する報酬は昔からそれなりに保証されていた。 中国の戦国時代には疽(悪性の腫れ物)は血膿を口で吸い出すのが常法であり、痔も 舌で嘗めて治していた。秦王は腫れ物を吸う医師には車一台、痔を嘗めれば五台を与え るという具合に、汚い病ほど報酬を多くしていたことが『荘子』に記録されている。

確か大夫簡子を診た名医扁鵲はその報酬として四万畝の田地を賜ったということが『 史記』に書かれているが、貧乏人には到底まねのできないところである。(周代の一畝 は一・八二アール)

何でこのような事を書きだしたかというと、医療に対する報酬について突っ込んでみ たかったからである。
洋の東西を問わず、古来医者を卑しむことが多かった。『論語』に「人にして恆なく んば以て巫医をも作すべからず」とあるし、『列子』には「乞児・馬医と雖も敢えて侮 らず」とある。

二千年前のインドのマヌの法典には「高利貸しの食物は糞のように忌まわしい。医者 の食物は血膿のように汚らしい」と、その報酬に対する貪欲さを揶揄している。 ようするに昔の医者は巫、乞食、高利貸しと並称される存在であったわけである。
江戸時代の『近世風俗見聞集』に具体的に紹介されている当時の医師や医療の記述を みると、おおよその検討がつく。

「官医以下、町医者・国々の医師も驕慢に構へ、療治の道に鍛練を尽くさず、只形姿 を立派にのみ拵え、利欲を稼ぐに精根を尽くすなり」、「本人はもとより家従までも不 行跡を尽くし、医道の玄妙至らざる故、親切の情さらになく、表向きのみ飾りさも良医 の体に見せて人をだますなり」、「人を助くる心を失ひ、いささかも病人の為を弁えず、 兎角療治の功を争ひ──或いは売薬を競ひ、その上、山医者などいえるもの出来て、後 々病者の身の害となる事も厭はず、眼前即効の奇薬を与え、或いは禁穴をも構はずして 灸を点じ、一時の験気を発せしめて人を服さしめ──当世は山医者・売薬人多く出来て、 世を費やし、また天命を縮むるもの多し」等々、当時の医者や医療に対する憤懣がうん ざりするほど書き連ねてある。

だから、概して廉潔の士は医業に就かなかった。もともと本来が医を業とする者は金 銭に執着して汚く、金ずくめだからこそ血膿をすすったり尻を嘗めるのだといった侮蔑 の意識の方が強かった。
しかも貧乏人からもなけなしの金銭を容赦なく取り立てていく、この根性を嫌ったの であり、そのいかがわしさ、貪欲さを当時の人々は許容できなかったのである。 それは医術の暗黒時代であったともいえるし、医道の確立される淘汰の時代とも言え るわけである。

しかし医道というものがそれまで蔑ろにされていたということではない。西洋ではヒ ポクラテスの時代にも、医道についてすでに言及され医学の根幹として認識されていた。

古代中国の医学書『黄帝内径』にも、張仲景の『傷寒論』自序にも、さらには孫思〓の医学書において も医道には明確な姿勢を示している。

我が国においては丹波康頼の『医心方』の冒頭に「太医病を治するに無欲無求、大慈 惻隠の心に発すべし」と、孫思〓の仁術の教えを忠実に伝えようとしている。

こうみると結局、医道と医術、仁術と医学とは分離した存在、あるいは分離されやす い存在であったということであろうか。

早い話、医術に対して仁術が正道としても、他に算術、忍術、魔術といった諸々の選 択肢があるということになる。

ここで報酬に執着しなかった孫思〓の仁術について書いてみよう。
孫思〓は唐時代の非凡な医師であるが、「人の命は千金に代えがたい」として、中国 に古代から伝わる医薬、鍼灸を実験と経験によって集大成し、『備急千金要方』三十巻 三十三冊を撰したことで知られている。

彼は仁術を身を以て実践したというが、貧乏な者からは治療代を取らず、遠くの病人 でもロバに薬袋をぶら下げて往診し、深夜といえども親切に診療し、重病人は自宅で看 護した。
彼の名声は広がり、彼の医療の恩恵を受けた貧しい人々は、彼の家の周りに杏の種を お礼に埋めていった。長年の間にこれらの杏の木が育ち見事な杏林となったという。

何故、杏の種を植えていくのか、これには前例となる出典があった。

『神仙伝』にあるが、董奉が人の病を治しても報酬を受け取らず、治った者には、杏 を記念に植えさせたので、何年か後には立派な林を成したという故事に孫思〓の患者も ならったのである。つまり「杏林」は、仁術を施す名医にふさわしい異称だったのであ る。
しかしながら、この事実に対して当時の文化人は意外にも冷やかな目で見ていたので ある。

孫思〓自身、文章博士であり第一級の文化人であったが、医を業としたので、いわゆ る身分上は方技を行う職人(工)としてしかみられなかったのである。

これらすべては昔のことであるから、世情や価値観がいくら違っていても少しもおか しくはないわけであるが、時代の流れと平行した一つの歴史的変遷として医療に対する 報酬を考えてみるのも文化的・史料的価値はあろうというものである。

まあ現在の日本の世情からいけば、なるべく高価な薬がいかにも効きそうに思えるし、 高い治療費を請求された方が、より良い医療サービスを受けているように錯覚するとき もあるわけである。

          (一、六,六)





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